小木たらい舟製作技術保存会 環境と調和しながら長い間維持してきた伝統的手技を、継承し保存方法を考える。

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はじめに

たらい舟たらい舟は、新潟県の佐渡島南端、小木半島一帯で使用される直径150センチ、短径130センチほどのタライ状の木造舟である。
たらい舟は、桶を半分に切ったことから地元ではハンギリとも呼ばれ、今もなおアワビやタコなど魚介類を突く見突き漁やワカメやテングサ採取などの海藻採取に使用されている。また、そのユニークな形や操船のおもしろさから佐渡を代表する観光資源としても活躍している。

たらい舟の起源は諸説あり、明治初めころ牛馬のエサを入れる飼い葉桶が海から流れそれを利用したとする説や能登地方から廻船によって伝えられたとする説、サカナ桶を改良して海に浮かべ使用したとする説などが残っているが定かでない。

享和2年(1802)小木沖を震源とする小木地震により、半島の海岸線一帯は1m余り隆起し、これにより破澗(アブルマ)とよばれるV字形の海蝕台ができた。この海蝕台によって海苔の産地となり、複雑な海岸地形は磯漁の適地となった。磯舟では入り込めない場所でも小回りがきいて出入りしやすいタライ舟であればより深く入り込み漁を行うことができた。

参考資料
南佐渡漁労習俗緊急調査報告書『南佐渡の漁労習俗』(小木町・昭和50年刊)所収

たらい舟の製作

これまでたらい舟の多くは桶樽職人の手によって製作が行われてきた。
昭和20年頃は、味噌樽を中心に需要がまだ多くあり、南佐渡には職人も数多く住んでいた。よく利用するたらい舟は毎年、輪替えと称するタガ(真竹の組み帯)替えを行わなければならず、かつては仕事を終えた桶樽職人が、たらい舟の注文や輪替えに小木半島の村々を回る光景が見られたという。しかし、プラスチック製品が出回るようになると、桶樽の需要は減少し、職人の仕事もなくなった。また、昭和60年代になると、FRP(繊維強化樹脂)加工が急速に普及し、約200艘あるとするたらい舟のほぼ全てに加工が施されることとなった。

これにより、輪替えは不要のものとなり、平成10年には職人の数は、わずかに2名となっていた。

行政の取り組み

たらい舟職人養成講座風景このことを危惧した小木町(現佐渡市)では、平成13年に県の補助を受け、製作技術の伝承を目的とするたらい舟職人養成講座(過疎対策地域等自立促進事業)が行われた。

講座は、地元の公民館を会場に9月から3月までの毎週日曜の午後、合計30回にわたり行われ、講師は、過去に20艘たらい舟を作った経験を持つ小木町在住の本間勘次郎氏が務めた。
受講生は、島内者8名、島外者5名の計13名で、島外からは新潟県上越市、三条市のほか遠くは神奈川県からも応募があった。7か月間にわたる工程に途中挫折する受講生もいたが、最終的には5名が残り5艘のたらい舟が完成した。

受講生からは一様にタガ組み(竹ヒゴ編み)が最も難しいとの声が聞かれた。タガは、大きすぎれば抜け落ち、逆に小さすぎれば入らないため、正確な寸法が求められる。水漏れせず丈夫なたらい舟を作るためには、長年の経験と勘が必要であることを改めて思い知らさせる結果となった。
この事業では養成講座のほか、たらい舟の製作技術を記録した調査報告書「はんぎり」(佐藤利夫著)の刊行、小中学生向けの手引書の作成も行われた。

また翌年には、新潟県立歴史博物館にて企画展「復活たらい舟-消えゆく技術の継承-」が開催された。これには、イソネギ(磯漁)で使用されるサザエヤスやアワビカギなどの漁撈用具の展 示に加え、米国の海洋史家ダグラス・ブルックス氏によるたらい舟の製作工程が公開された。
ダグラス氏は平成7年に、たらい舟職人である藤井孝一氏(故人)に弟子入りし製作工程を学んだ唯一の人物であり、師の技は著書「佐渡のたらい舟」に詳細に記録されることとなった。

このほか、指定に至るまでには、昭和40年代に行われた民俗学者宮本常一を調査団長とする南佐渡の漁撈習俗調査及び佐渡国小木民俗博物館で行われてきた資料収集活動のほか、製作技術とは性格を異とするが、昭和20年代から行われてきた小木港祭りでのイベントたらい舟競争や過去3回行われたたらい舟による越佐海峡横断などの取り組みも普及啓発に大いに寄与してきたといえる。

最近の動き

たらい舟職人養成講座風景このようにたらい舟は、地域の人々の生活の中に当たり前のものとして溶け込み、様々な人達によって長い間守り伝えられてきた。こうした小さな活動の積み重ねにより、平成18年に「小木たらい舟製作技術保存会」が発足した。意欲ある会員らによって、この度2回目の養成講座を実施することとなった。
しかしながら、たらい舟を取り巻く状況は、製作者の減少に加え、社会構造の変化や過疎、高齢化に伴い漁業者そのものも大きく減少しているのが実態である。
変化の激しい時代であればあるほど、生活文化を継承していくことは容易なことではないと感じている。

環境と調和し長い間維持してきた伝統的な手技であるたらい舟製作技術の継承を、たらい舟を愛する地域の人々と共にこれからも考えていきたい。